50歳管理職、無職になりました。

ついに限界が来ました。

毎日が幸せすぎて。

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毎日が幸せすぎる。

 

会社員時代、あんなに長かった1日があっという間に終わる。

やりたいことが多すぎて楽しいことが多すぎて。

 

明日は何をしよう?

あれをやろうか?これをやろうか?

もっとこうしたらどう?

そうだ、これをやってみよう!

 

毎晩、明日が楽しみで布団に入る。

 

 

あの頃は毎晩明日が怖かった。

 

明日は会議だ・・・。また責められるのかなあ。

とか

査定の書類出さなきゃ。めんどくさいなあ・・・

だとか

 

 

とにかく、月曜はうんざり。

早く土日にならないかなあ・・・

って思いながら寝てたっけ。

 

もちろん仲良しの友達との食事は楽しかったし、

待ち遠しい飲み会もなかった訳じゃないけど

結局誰かの悪口になったり体制批判になったり。

 

今感じているみたいな無邪気な幸せではなかった。

 

 

ただし、当然のことながら圧倒的にお金がない。

無いだけならいいけど、いろいろな請求が来るので

それは怖い。

 

だから、この生活を長く続けることはできないのだ。

 

 

どうしてだろう。

シンプルに考えてみる。

 

 

なぜ、働くと辛いんだろう。

 

 

 

結局、自分で事業を起こさない限り、

誰かに使われることになる。

そうなると人は自由を売ることになる。

だから辛いんだな。

 

じゃあ事業を起こそう!とはならない。

だって、事業を起こすにはとてつもない苦労とリスクが伴うのだから。

 

つまり、とてつもない苦労とリスクとの引き換えに

人は自由を売るんだな。

 

歯車として働く。

毎日会社に行って、命令を聞いて大人しくしていれば

最低賃金がもらえる。

 

 

もっと欲しい人は、出世しようとして頑張る。

そこに競争が生まれる。

 

 

もちろん、働くことが楽しくてしょうがないという人も

どこかにいるんだろうけど(私はそんな人に会ったことはない)。

 

 

結局、この幸せな生活を維持するためには、

固定費をできるだけ減らすことが鍵なのではと思う。

 

どうしても稼がなければならない総額を少なくすることで、

人生から奴隷時間の割合を減らすのだ。

 

経済を回すには消費が必要らしいので

私の考え方は「非国民」的な発想だろうけど

エコの観点から考えれば、必要最低限の生活は理に適っている。

 

そこに「知力」でレバレッジをかけられれば

奴隷時間はもっと少なくなる。

 

その奴隷時間を、誰かの役に立つことに変換したい。

 

自分が働くことで、誰かを少しでも助けたい。

 

自分も幸せ、自分以外の人も幸せ。

 

そうすれば、私の命は意味のあるものになる。

 

毎日が楽しい、という生活。

これ、世界中の人が送れたらいいのに。

 

苦痛が当たり前の世の中なんておかしいよ。

 

 

そもそも、GDPが成長していかないと消費が冷え込んで景気が悪くなるという

この仕組みが間違っているのかもしれないなあ。